ESSAY

綴り ― もうひとつの自伝

このエッセイは、栄一が遺した三十冊の大学ノート(日記・短歌・メモ書き)をすべてデジタル化し、日記の行間からご遺族とともに紡ぎ出した「もうひとつの自伝」です。日記の引用は原文のまま、地の文はご遺族の監修のもとで構成しています。

CHAPTER 1

言葉を信じ、人を信じた日々

大正の面影を残す昭和の初め、栄一は大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の門を叩いた。文学を愛し、何より「言葉には、人の心を健やかに育てる力がある」と信じた青年は、卒業後、念願だった小学校の教壇に立つ。子供たちと同じ目線で笑い、時に一緒に泥だらけになって遊ぶ栄一は、学校中の人気者だった。

陽の差し込む木の机の教室
栄一が三十七年を過ごした教室の風景

しかし、40歳を迎える目前、人生の嵐が突如として彼を襲う。大病を患い、長期の闘病を余儀なくされたのだ。愛する教壇を去らねばならなくなった夜、栄一は暗い病室で、引き裂かれるような悔しさを日記に実直に書き殴っていた。

子どもたちの声が遠ざかっていく。私の役目はここで終わりなのだろうか ― 昭和47年の日記より

だが、栄一という男の真骨頂はここからだった。病を克服し、体力が戻り始めた彼は、自分が病に苦しんだからこそ、社会の中で光が当たりにくい存在へ目を向けるようになる。当時、まだ環境が十分に整っていなかった「障害児教育」の世界へ、彼は自ら飛び込んだ。

どの子にも、その子にしか咲かせられない花がある ― 栄一の口癖

市内の障害児学級の最前線に立ち、親たちの不安に寄り添い、行政に掛け合い、一人ひとりの子どもが安心して学べる居場所を泥臭く作り上げた。定年を迎えるその日まで、彼は現場を離れなかった。

引退後、ようやく訪れた静かな時間の中で、栄一は再びペンを取った。かつてのように大きな声で子どもたちを引っ張ることはなくなったが、彼の周りにはいつも、おだやかで優しい風が吹いていた。書斎の机に向かい、時に窓の外の季節の移り変わりを眺めながら、短歌を詠み、日々のささやかな出来事をノートに書き留めること。それが、彼の新しい「教育者としての、そして一人の人間としての祈り」の時間だった。

CHAPTER 2

おじいちゃんの笑顔の理由

私たち孫の記憶にあるおじいちゃんは、いつ会っても穏やかで、シワだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、よく笑う人だった。現役時代の、あの激動の日々や苦労など、微塵も感じさせないほどに。

栄一が旅立った後、私たちは実家の押し入れから、段ボール一箱分に詰め込まれた大量の大学ノートを見つけた。そこには、私たち家族がこれまで知ることのなかった、おじいちゃんの「心の裏側」が、1日も欠かさず、静かな筆跡で刻まれていた。

満開のつつじ
日記に幾度も登場する、庭のつつじ

ある5月の晴れた日の日記。そこには、私たちが遊びに行った日のことが、まるで世界で一番のニュースであるかのように瑞々しく綴られていた。

午前中、庭のつつじが綺麗に咲いたので、お茶を飲みながら眺める。午後は久しぶりに短歌の推敲。言葉をこねくり回していると、あっという間に時間が過ぎる。

夕方、孫たちが元気にやってきた。『おじいちゃん!』と入ってくる声を聞くだけで、部屋がパッと明るくなる。買っておいたお菓子を出すと、実によく食べる。大きくなったものだ。

別れ際、車が見えなくなるまで手を振った。少し寂しくなるが、また明日から頑張ろうという元気が湧いてくる。今日も良い一日だった ― 5月の日記より

私たちはこの記述を見つけた時、涙が止まらなかった。私たちが何気なく会いに行き、当たり前のようにお菓子を食べて帰るあの短い時間が、おじいちゃんにとって、翌日を生きるためのどれほど大きなエネルギーになっていたか。身体の古傷や老いの痛みを抱えながらも、いつもおだやかで笑ってくれていたあの笑顔の理由が、時を超えて、この日記の中でようやく繋がったのだ。

CHAPTER 3

遺された種、咲き誇る未来

9月の雨の日の日記には、かつて彼が命をかけて向き合った障害児学級の教え子から、何十年ぶりかに届いた手紙のことが書かれていた。かつて言葉をうまく話せなかったその子が、今では立派な父親になり、自立して働いているという報告だった。

雨粒のついた窓ガラス
秋雨の日の窓辺
秋雨がしとしとと降る。少し古傷が痛むが、温かいお茶を飲んでやり過ごす。現役時代の教え子から手紙が届いた。もう立派な大人になり、親になっているという。自分が蒔いた小さな種が、それぞれの場所で花を咲かせていると思うと、しみじみとありがたい。

夜、静かな部屋でノートに向かう。私の人生は、たくさんの人に支えられてここまで来られた。ただただ、感謝である ― 9月の日記より

栄一の人生は、文字通り「種を蒔く人生」だった。学校で、障害児教育の現場で、そして家族の中で。彼が蒔いた愛という名の種は、私たちが知らないところで、誰かの人生を根底から支える大樹へと育っていたのだ。

おじいちゃんが亡くなった時、私たちはその大量のノートをどうすべきか分からず、一度は「処分するしかないのか」と激しい後悔と罪悪感に襲われた。しかし、この『面影の綴り』を通じて、三十冊のノートは、いつでもスマホで親戚一同が読める美しい「デジタル記念館」と、お仏壇にいつでも飾っておける「一冊の美しいハードカバー」へと生まれ変わった。

原本のノートは、提携する神社で丁寧にお焚き上げ(供養)してもらった。部屋はすっきりと片付いたが、私たちの心には、引き出しの奥に眠っていた時以上の、おじいちゃんの確かな「温もり」が、いつでも手の届く場所に残り続けている。

栄一が遺した言葉は、今も私たちの人生の「あしあと」として、行く先を優しく照らし続けている。

自分が蒔いた小さな種が、
それぞれの場所で花を咲かせている

― 9月の日記より

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