家族の声 ― 思い出とメッセージ
栄一を知る人たちが、いま伝えたい言葉を寄せました。
このページは、これからも少しずつ増えていきます。
お父さん。ノートを見つけた日のこと、今でも忘れられません。「処分するしかないのかな」と弟と話しながら、一冊だけ開いてみたら、母を見送った日の「ありがとう。ありがとう。」の一行が目に飛び込んできて、二人でしばらく泣きました。あんなに無口だと思っていたお父さんが、誰よりもたくさんの言葉を遺していたなんて。全部きちんと読める形にできて、本当によかった。お母さんと一緒に、ゆっくり休んでください。
山本 恵子(長女・遺族代表)
おじいちゃんの家に行くと、いつも玄関までの数歩の間に、もう戸が開くんです。「よう来たなあ」って。あれが不思議で仕方なかったんですが、日記を読んで謎が解けました。僕たちが来る日は、朝からずっと楽しみに待っていてくれたんですね。車が見えなくなるまで手を振ってくれたあの姿を、今度は僕が息子にする番です。おじいちゃん、また報告に行くよ。
山本 大輔(孫・34歳)
おじいちゃんはお菓子の趣味が異様に良くて、「なんで最新のお菓子知ってるの?」っていつも笑ってました。日記に「美咲の好きなチョコの新しいのが出たので買っておく」って書いてあるのを見つけた時、スーパーで孫のお菓子を選んでいるおじいちゃんの姿が浮かんで、涙が出ました。私の結婚式で詠んでくれた短歌、額に入れて玄関に飾っています。ずっと私の宝物です。
佐藤 美咲(孫・30歳)
正木先生。私は先生の学級で言葉を覚えた教え子の一人です。喋れなかった私に、先生は毎朝「今日の空はどんな色や」と聞き続けてくれました。答えられるまで、何年でも。私が手紙を書けるようになったのは先生のおかげです。あの手紙を日記に書き留めてくださっていたと聞き、涙が止まりませんでした。先生に蒔いてもらった種は、ちゃんと咲いています。私の子どもにも、同じ質問をしています。「今日の空はどんな色や」って。
T・K(教え子・元障害児学級)
正木先生とは研究会で三十年ご一緒しました。行政との交渉で誰もが諦めかけた時、先生だけは「子どもは待ってくれへんのですわ」と席を立たなかった。あの粘り強さに、大阪の特殊教育がどれだけ助けられたか。退職後にお会いした時、「今は五・七・五・七・七と戦うてます」と笑っておられたのが忘れられません。先生、あなたの戦いの記録が、こうして残りましたよ。
松本 洋一(元同僚・市特殊教育研究会)
また明日から頑張ろうという
元気が湧いてくる。今日も良い一日だった
― 孫たちが訪れた日の日記より