歩み ― 八十八年の記録
昭和、平成、令和。三つの時代を、まっすぐに歩いた八十八年でした。
大阪市に生まれる
三人兄弟の長男として、大阪市住吉区に生まれる。本の好きな、おとなしい子どもだったという。
大阪学芸大学(現・大阪教育大学)に入学
戦後の混乱がまだ残る時代。「言葉には、人の心を健やかに育てる力がある」――文学を愛した青年は、教師を志す。
小学校教諭として教壇に立つ
念願だった大阪市内の小学校に赴任。子どもたちと同じ目線で笑い、時に一緒に泥だらけになって遊ぶ栄一は、学校中の人気者だった。
文枝と結婚
同僚の紹介で出会った文枝と結婚。二年後に長女・恵子が生まれる。
大病により教壇を離れる
40歳を目前に胸の大病を患い、長期の療養生活に入る。「子どもたちの声が遠ざかっていく。私の役目はここで終わりなのだろうか」――当時の日記には、引き裂かれるような悔しさが綴られている。
復職。障害児教育の道へ
病を克服した栄一は、自らが苦しんだからこそ、光の当たりにくい子どもたちへ目を向ける。当時まだ環境が整っていなかった障害児学級の担任を自ら願い出た。
市の特殊教育研究会の世話役に
親たちの不安に寄り添い、行政に掛け合い、一人ひとりの子どもが安心して学べる居場所を泥臭く作り上げた。
定年退職
定年を迎えるその日まで現場を離れなかった。三十七年におよぶ教師生活だった。
日記と短歌の日々が始まる
73歳。書斎の机で、大学ノートに日記と短歌を綴り始める。以来十五年間、一日も欠かすことはなかった。
妻・文枝を見送る
五十六年連れ添った文枝が旅立つ。その日の日記はたった一行、「ありがとう。大好きでした。」とだけ記されていた。
永眠 享年88
桜の便りが届く春の朝、家族に見守られて静かに息を引き取る。最後のノートの最後のページには、「ただただ、感謝である」と綴られていた。
「面影の綴り」公開
遺された三十冊のノートをもとに、家族の手でこの人生アーカイブが編まれる。
ノートに遺されていたこと
三十冊のノートには、短歌のほかに、その日あったことが淡々と書き留められていました。 家族が知らなかったのは、栄一が何を嬉しいと感じていたか、でした。
午前中、庭のつつじが綺麗に咲いたので、お茶を飲みながら眺める。午後は久しぶりに短歌の推敲。言葉をこねくり回していると、あっという間に時間が過ぎる。
夕方、孫たちが元気にやってきた。『おじいちゃん!』と入ってくる声を聞くだけで、部屋がパッと明るくなる。買っておいたお菓子を出すと、実によく食べる。大きくなったものだ。
別れ際、車が見えなくなるまで手を振った。少し寂しくなるが、また明日から頑張ろうという元気が湧いてくる。今日も良い一日だった ― 5月の日記より
孫が遊びに行き、お菓子を食べて帰るだけの数時間。それが翌日を過ごす張りになっていたことは、このノートを開くまで誰も知りませんでした。
秋雨がしとしとと降る。少し古傷が痛むが、温かいお茶を飲んでやり過ごす。現役時代の教え子から手紙が届いた。もう立派な大人になり、親になっているという。自分が蒔いた小さな種が、それぞれの場所で花を咲かせていると思うと、しみじみとありがたい ― 9月の日記より
障害児学級で受け持った子から、何十年ぶりかに届いた手紙のことでした。