TIMELINE

歩み ― 人生年表

昭和、平成、令和。三つの時代を、まっすぐに歩いた八十八年でした。

1933昭和8年

大阪市に生まれる

三人きょうだいの長男として、大阪市住吉区に生まれる。本の好きな、おとなしい子どもだったという。

1952昭和27年

大阪学芸大学(現・大阪教育大学)に入学

戦後の混乱がまだ残る時代。「言葉には、人の心を健やかに育てる力がある」――文学を愛した青年は、教師を志す。

1956昭和31年

小学校教諭として教壇に立つ

念願だった大阪市内の小学校に赴任。子どもたちと同じ目線で笑い、時に一緒に泥だらけになって遊ぶ栄一は、学校中の人気者だった。

木の机が並ぶ教室
栄一が愛した教室の風景
1959昭和34年

文枝と結婚

同僚の紹介で出会った文枝と結婚。二年後に長女・恵子が生まれる。

縁側に並んで庭を眺めるふたり
晩年まで、よく縁側に並んで庭を眺めていた
1972昭和47年

大病により教壇を離れる

40歳を目前に胸の大病を患い、長期の療養生活に入る。「子どもたちの声が遠ざかっていく。私の役目はここで終わりなのだろうか」――当時の日記には、引き裂かれるような悔しさが綴られている。

1974昭和49年

復職。障害児教育の道へ

病を克服した栄一は、自らが苦しんだからこそ、光の当たりにくい子どもたちへ目を向ける。当時まだ環境が整っていなかった障害児学級の担任を自ら願い出た。

古い黒板
言葉の代わりに、絵と色チョークをたくさん使った
1985昭和60年

市の特殊教育研究会の世話役に

親たちの不安に寄り添い、行政に掛け合い、一人ひとりの子どもが安心して学べる居場所を泥臭く作り上げた。

1993平成5年

定年退職

定年を迎えるその日まで現場を離れなかった。三十七年におよぶ教師生活だった。

2006平成18年

日記と短歌の日々が始まる

73歳。書斎の机で、大学ノートに日記と短歌を綴り始める。以来十五年間、一日も欠かすことはなかった。

書斎から眺める庭
栄一が長い時間を過ごした書斎の眺め
2015平成27年

妻・文枝を見送る

五十六年連れ添った文枝が旅立つ。その日の日記はたった一行、「ありがとう。ありがとう。」とだけ記されていた。

2021令和3年

永眠 享年88

桜の便りが届く春の朝、家族に見守られて静かに息を引き取る。最後のノートの最後のページには、「ただただ、感謝である」と綴られていた。

公園に咲く一本の桜
旅立ちの季節に咲いていた桜
2026令和8年

「面影の綴り」公開

遺された三十冊のノートをもとに、家族の手でこの人生アーカイブが編まれる。

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